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鈴(りん)について

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2026.03.21

1.仏具としての鈴(りん)


 一般的に「鈴(りん)」や「おりん」などの名称で呼ばれる仏壇の経机(前机)の右手前に置かれている仏具ですが、葬儀の際の枕飾りにも当然のごとくセットされ枕机の右手前に置かれています。筆者は地方都市に生まれ、三世代同居で仏壇のある家に育ちましたので、祖父母が仏壇に手を合わせる時にチーン・チーンと鈴(りん)を鳴らす後姿を当然のごとく見ておりました。朝夕の礼拝時にお霊供を上げて線香を立てる時や、近所からおすそ分け(主に初物の果物など)を頂き真っ先に仏壇にお供えする時、お供えした物を「おさがり」としていただく時もすべて鈴を鳴らしていました。それはまるで仏壇(ご先祖様)に何かしらのアクションを起こす場合には、その前後に必ず合図として鳴らさなければならないという作法のような感覚が染みついているといっても過言ではありません。しかしながら実は枕飾りに必要な「三具足(みつぐそく)」と呼ばれる荘厳具(法具)に鈴は入っていないのです。香炉(こうろ:線香立て)・燭台(しょくだい:ローソク立て)・華瓶(けびょう:花立て)からなる三具足は六種供養の意義が盛り込まれ満たされているために「具足」と呼ばれ仏前に揃っていなければおらず、逆に言えば欠かすことができません。それでは鈴の仏具としての意味はどこにあるのでしょう。

 筆者が修行した真言宗の場合、導師がお勤めする壇上荘厳に「鈴(りん)」はありません。役割として近いものに「磬台(けいだい)」があります。磬台とは「磬(けい)」と呼ばれる青銅製の板状のものを紐で吊るし撞木で叩いて音を鳴らすものです。「真言宗の事作法」には「磬台は磬を架(つる)し、撞木(しもく)でこれを叩いて合図をするものであります。これに替えて打鳴し(うちならし)を用いることもあります。」、「例時(れいじ)“誦経(じゅぎょう)”とは朝夕の勤行(ごんぎょう)“お勤め”のことです。ここにもやはり打鳴しを置きます。“キン”とか“磬子(けいす)”などという大形のものは真言宗の正式ではありません。」と記述されています。この「打鳴し(うちならし)」こそ「鈴(りん)」のことを指しています。このことから仏具としての鈴は、経頭(きょうとう:読経する際のリーダー役)が一緒に唱える人々へ開始(2回)・区切り(1回)・終了(2回)を伝えるための合図として鳴らされるものです。故人やご本尊ではなく、あくまで一緒にお唱えする人々のために鳴らすものという訳です。ちなみに一般的にリン棒と呼ばれているものは「撥(はつ・ばち)」、大型のものは「棓(ばい)」が正式名称です。磬を鳴らす撞木(しもく)は通常「しゅもく」と読まれます。シュモクザメの“シュモク(ハンマーヘッド)”はこの撞木に頭の形状が似ているから名付けられました。「しもく」には撞木のほか「支木・鈎杖・枝木」など、宗派、形状などの違いにより別の文字が当てられます。
 都会では僧侶と一緒にお経を唱えることができない遺族が多いと思います。枕経の際に鈴(りん)は必要ないのかという論議になりそうですが、実際には合掌、礼拝の合図として鳴らしています。葬儀ホールでは遺族が一人もいないときに僧侶が枕経に来館することもありますが、その際にも鈴を鳴らしていたので読経する時に慣習化しているということでしょう。ウィキペディアの「鈴」には真宗大谷派のみ「鈴台と作法」について記述されており強いこだわりを感じます。また浄土真宗本願寺派の住職が枕経が終わった後で遺族に対し、お読経をせずに合掌礼拝だけする場合には鈴を鳴らしてはいけないと言っているのを聞いたことがあります。行事作法をわきまえずチンチン呼び鈴のように鳴らすものではないと話していました。葬儀実践全書(村越英裕著)には「枕経でおりんをならしてもよいですか?」との問いに対して「引導を渡した後に鳴らすものだと考える導師も少なくありません。四十九日が済んでから鳴らすというところもあります」との記述があります。宗派や地区などの説明がなく、理由も明らかではないので、ここでは解説を控えますが一度詳しく調べてみる必要を感じました。

2.民俗としての鈴(りん)


 前回、「読経時以外は鳴らすべきではない」というのは、あくまで仏具としての鈴の役割や作法に基づいた考え方です。ネットの質問箱コーナーでも取り上げられており検索してみると、やはり浄土真宗系の方からの回答で「鳴らすべきではない」との回答が多くみられます。他の宗派も考え方としては同じだと思うのですが、特に浄土真宗はこだわりが強いようです。これは鈴の作法だけに限ったことではなく、昭和55年に当時の文化庁がまとめた「日本民俗地図」の葬制・墓制の解説に次の記述があります。「浄土真宗では、本山に納骨する習俗もあるが、真宗地帯には火葬が普及している。なお、同宗では俗信をしりぞける傾向がいちじるしく、このため、富山・石川・福井・島根・広島などの浄土真宗の布教地帯では、民俗事象が単調であるなどと、よく指摘され、その状況は民俗分布図にも表れている。」少し転載が長くなりましたが、誤解を避けるためにも要約しておりません。他の宗派においても俗信を退ける傾向がないわけではありません。僧侶に対しては厳しくとも、信者であっても民衆には寛容であったと思われます。さてそれでは何故、礼拝時に鈴を鳴らしたくなるのでしょう。

 ひとつ大きな理由に金属音の神秘性があります。日本人に限らず古代より人々は金属の出す高音に神秘性を感じていただろうと言われています。金属が精製される以前は金属音に近い音の出る石に神秘性を感じ、祭礼・祭祀・祈願・呪術などに用いられてきました。音が出る仏具として前出の「磬」ですが、文字を見ると「石」が入っているように元々はサヌカイトのような音の出る石でできていたと思われます。「殸」は叩いて出る音を表す漢字で「磬」の祖型は古代中国まで起源を遡ると言われています。日本にはもちろん仏教伝来とともに伝えられました。しかしそれ以前の古墳時代には「磐座(いわくら)」と呼ばれる自然崇拝として巨岩を信仰する遺跡があり、中でも長野県蓼科の「鳴石」は有名です。この巨岩は小石で叩いただけでも金属のような音を出し、周りの空間に神秘的な音色が響き渡るそうです。鋳造技術が伝わった弥生時代には「銅鐸(どうたく)」が使われていました。2015年に淡路島で発掘された松帆銅鐸には「舌(ぜつ)」と呼ばれる発音具を内部で紐で結んだ痕跡が発見され話題となりました。当時、兵庫県の井戸知事がその複製を得意げに鳴らす姿をニュース映像で見ましたが、その音色の美しさと繊細さに一瞬にして耳を奪われ、おもわず目を閉じて聞き入ったことを覚えています。銅鐸の使用方法については祭器、楽器をはじめ諸説ありますのでここでは論ずることを控えます。

 洋の東西を問わず「鐘」は宗教と信仰に欠かせないものと言っても過言ではないでしょう。鐘の音色にまつわる伝承、名曲、格言、小説など数えればきりがありません。日本の寺院で鐘楼に吊下げられた梵鐘は、役割だけ考えれば「時の鐘」ということになりますが、「梵」はサンスクリット語の音訳で「神聖・清浄」を表しており、名称からも役割を超えた存在ということが分かります。筆者が山形県寒河江市の古刹「慈恩寺」にお参りした時、案内してくださった僧侶の方から次のお話を賜りました。「鐘楼の梵鐘は願いを込めて3回撞いてください。1つ目は世界平和を、2つ目は先祖供養のために、3つ目に自分の願いを込めて。撞くたびに合掌して深く祈るのです。鐘の音は輪状に波のごとく広がり、遠く遠く十万億土まで届くと言われます。その鐘の音に願いや祈りを乗せて彼方におられる仏様やご先祖様にお届けするのです。」その通り3回撞かせていただきました。本堂に入ってお参りする際に鈴(リン)を鳴らす時も「ご本尊に届くようにしっかり鳴らしてください。」と言われました。鐘や鈴の大小を問わず金属音が人間の声よりはるか遠くに届くことや、音色の神秘性が人の心を清らかにすることを柔軟にとらえ、仏教の宗派や作法を超えたお話に感動したことを今も鮮明に記憶しています。鈴を鳴らすのか、鳴らさないのかについて、檀那寺の住職の考え方に沿うことはもちろんですが、澄み切った鈴の音色の中、祈りを込めて合掌する姿は清らかで美しいものです。あまりかたくなに考えず、柔軟に対応してはいかがかと思います。

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