
今回のテーマは葬儀における「禁忌(きんき)」の中で、特に死装束(仏衣)について各地の不思議な風習も交え深く掘り下げてまいりたいと思います。
●禁忌(きんき)とは?
「禁忌」の意味ですが、この言葉が現在頻繁に使用されているのは「禁忌品」と呼ばれるリサイクルごみ(古紙など)の回収時に混入させてはいけない物を指したり、「併用禁忌」と呼ばれる複数の医薬品を同時に使用する際、医薬品同士の相互作用により特に有害な作用を引き起こす場合を指します。このような現在の言葉の使われ方は、主に科学技術根拠の禁止事項を説明するものですが、元々の意味は信仰上や俗信上の道徳的な禁止事項を指します。たとえば「村の神社の御神木を切るとバチがあたる」や「聖地・霊地に勝手に踏み入ると祟りがある」など法的な問題とは別に、道徳的にも心理的にも信仰上も絶対に違反できないものとして、人々の上にのしかかり当然のこととして堅く守られていました。各地区によって「バチ」や「祟り」の内容が具体的に示されていることが多く、無言の圧力によって守られている地域社会の規範でもありました。一例として「ご神体や秘仏を直視すると眼がつぶれる」などは、現代に生まれ自由な考え方を持つ我々から見ると滑稽にも思えるほどですが、そこには想像を絶する緊張感を持って心から信じられていた時代があったに違いありません。
●物忌(ものいみ)とは?
禁忌と同じように扱われる言葉に「物忌」があります。物忌とは、祭りなど神霊を迎えるに際して「穢れ」を遠ざけるために静かに慎んでいる状態を指します。禁忌が日常の生活の中に深く根ざした禁止事項と言えるのに対し、物忌は日本特有の(古代)神信仰に密接に関係します。祭りの前の「お籠り」がそれに当たりますが、日常性を離れることにより心身の安静と浄化をはかります。早く言えば積極的に「何もしない」のです。具体的には、家族と離れて忌屋に籠り、別火を用い平常と異なる食事をとり、白衣を身に着け水垢離(みずごり)をして身を清めます。さらに物忌に服している期間は「忌詞(いみことば)」と称して特定の言葉の使用を避け、別の言葉に置き換えて使います。特に「死」に対しては「お国替えされた」「日陰に入った」「蓑笠をかぶった」「広島へ煙草を買いに行った」など様々に言い替えられました。物忌は古代神道からの流れであり修験道でも重要視され、特に陰陽道ではきわめて呪術性を強め、厄難消除を主体とする外来霊鬼から身を守る精進潔斎行として行われました。こうした期間中は木簡や紙片に『物忌』と書いて門戸や外簾などに付けることとなり、これが現在の忌中札・忌中紙の元と言われています。
禁忌について民俗学者の井之口章次は著書「日本の俗信」で次のように述べています。
「いずれにしても、禁忌には信仰上と俗信上とを問わず二つの面がある。つまり、神聖なものに対して身を慎む場合と、穢れに対してそれを忌む場合とがある。神聖なものと穢れとでは、まるきり反対のように見えようが、古い時代の感覚では、そうは受け止めていなかったようである。神霊を迎える時の、身の引き締まるような緊張と、穢れに対する極度の嫌悪感による緊張とが、「緊張感」という一点において共通しており、その共通点が昔は接近した感覚であったらしい。「尊敬しつつも、それゆえに畏れる」という気持ちは現代人にも多少は残っている。古来より少なくとも双方が、同じ言葉で一括して表現されてきたのである。」
●葬儀における禁忌
葬儀においては非常時であることから、通常の逆の事を行うために禁忌だらけと言っても過言ではないでしょう。その反対に葬儀・葬列を連想させることを死と結びつけて忌み嫌い、本末転倒ながら逆の禁忌が多数あることも事実です。今回は死装束について、そのいくつかをご紹介してまいります。
死装束(仏衣)の禁忌について
※全国的に共通点が多い項目は以下の通りです
【 故人に晒し木綿で作った白衣を着せる。この白衣は故人と血の(濃く)繋がった女性たちで作る。物差しを用いず扇子で図り、ハサミを使用せず、糸は縒りのかからない麻糸を用いる。糸は結び目を作らない。布は引き裂いて仕立て、何人も寄って引っ張り縫いをする。襟無しに仕立てる。縫う時には返し針をしない。一反を余すことなく頭陀袋、手甲、脚絆、額烏帽子、笈摺などを作り後に残さないようにする。着付けは左前とし頭陀袋は首にかけ手甲、脚絆は縦結び(逆さ結び)にし額烏帽子は固結びにする。】
ご覧の通り、装束については禁忌事項のオンパレードです。前出の井之口章次は「引っ張り縫いをするのは忌の害を分散させ、糸尻を留めないのは完全な形に縫い込めることを嫌ったから(霊魂が脱出できるように)」と論じています。ちなみに死装束の背中を一部あけておく習慣は福島、埼玉、茨城、九州南部に見られます。五来重は違った解釈として「この習俗は本来、死者に着せる物は裁ったり、縫ったりすべきものではなく、一枚の布で死者を包んだり、覆ったりしたことの名残であろう」と述べています。
※その他、各地の特徴的な禁忌をご紹介します。
・死者の娘が寒冷紗(かんれいしゃ)で縫う(岐阜)
・経帷子の上から裃(かみしも)を着ける(愛知)
・村内で七歳になるものが寒冷紗で縫う(滋賀)
・白布を一重で後家さんに縫わせる(三重)
・白の晒し木綿で小さな着物を作り、死者の白衣の胸元に年寄りが縫い付ける(兵庫)
・仏衣を縫いあげた後、縫ったものは冷酒(ひやざけ)を飲み、使った針を酒に浸し「針洗い」する。(愛媛)
・袖の下の部分は縫わないで開けておく(鹿児島)
このように各地の例を挙げ始めるとキリがありません。令和8年の現在では全国的に見ても葬儀社が用意する仏衣を使用されるケースがほとんどであろう思われます。特に最近ではセットに経帷子がセットされていても、故人がお気に入りだった服を着せることが多くみられます。わざわざこれほど面倒なことを全て守って葬儀を進めていくことは「村」という集合体で葬儀を行わなくなった現在、所詮無理なことと思います。しかしながら昔行われていた一つ一つの行程の中に「祈り」が見えてくることも事実です。5年ほど前に故人の奥様(80代後半)が、我々の用意した経帷子をみて父親の葬儀を思い出され、ハサミを使わず、糸留めをせず、引っ張り縫いをしたことなどを滔々とお話ししてくださいました。その時の心境を「一つ一つ決まり事を守っていくことが父の供養になると聞かされていた。きちんとやってあげんと成仏できんかったら大変やと思っていた。慌ただしさに紛れて気が付いたら葬式が終っとった。」とおっしゃっていたことを思い出します。単純に良い悪いを判断することはできませんが、当時に今回の知識があればきっとさらに話が盛り上がり、ご遺族との絆を深めることができただろうと思いました。葬儀社の担当者の皆さんも忙しい中ですが、ご遺族とのコミュニケーションの際にネタとして活用していただければ幸いです。
【参考文献】
井之口章次「日本の俗信、生死の俗信」、岸田緑渓「日本の葬送儀礼」、文化庁編纂「日本民俗地図」1~4、新谷尚紀・他「民俗小事典・死と葬送」、中村元・他「岩波・仏教辞典」、五来重「葬と供養」、和田邦平「日本の民俗」、谷垣桂蔵「兵庫県の秘境」