
以前に一度「なぜ線香を焚くのか?」を少しだけ解説しましたが、今回はあらためて「香」について解説します。
1. 仏教における「線香」の意味
燈明の解説時にも紹介しましたが、真言宗の供養の基本である「六種供養」のなかに「香」に関するものが二つ出てきます。「塗香(ずこう)」と「焼香(しょうこう)」です。禅宗などの「十種供養」では、さらに「抹香(まっこう)」が加わります。仏教伝来以前に薫香はなかったものの、香りの強い植物(樒、蓬など)や乾燥木(杉、アスナロなど)を燃やして祈祷などの宗教儀礼に用いていたようです。しかしながら「供香」の概念は仏教がもたらしたことに間違いありません。香の文化は四大文明と言われるエジプト、メソポタミア、インダス、黄河のそれぞれに起源があるとされていますが、現在使用されている線香の源流は古代インドの宗教(バラモン教=ヒンドゥー教)から始まったと言われています。南方の暑さの中での強い体臭のために、神聖な宗教儀式をおこなう前に香水(こうずい=香のかおりを付けた水)を体に塗って身を浄めるために利用しました。仏教にも自然に取り入れられインドから中国を経て日本にもたらされます。当時はもちろん線香はありませんので塗香と抹香ですが、平安時代にはすでに練り香(丸香)があったようです。線香が中国でいつごろから作られたのかは分かりませんが、日本には1668年に中国から渡来帰化した人物が長崎で作り始めたとされています。また同じ頃に朝鮮から別のルートで堺に製法が伝えられたとも言われています。堺市は今でも線香の一大産地として有名です。
■塗香(ずこう)
一般の方にはあまり知られておらず、使用する方もほとんどありませんが、僧侶は仏前に座る前に粉末状にされた香を両手に塗ります。写経前の作法にも塗香は含まれており、写経をなさる方はご存知のことと思います。この香は焚くためのものではなく、細かく微塵(パウダー状)に加工されており、すぐに手肌に馴染んで良い香りが長く持続します。和装時に懐にしのばせる匂い袋の中身はほとんどがこの塗香です。香の起源で解説の通り、最初は自分自身を清める清涼(しょうりょう)の徳のためでしたが、供香(くこう)の言葉通り仏様のお身体に良い香りを塗って差し上げることを意味します。塗香は六波羅蜜の持戒を表します。「真言宗の事作法」には「香を体に塗って身を浄めた私たちは、世の中の色々な決まり事を守り、心の汚れを浄めますと決心すると同時に、仏様の貴い恵みが通っているこの身を粗末にすることなく、仏様が示されるとおりに生活をし、身を清浄に守り、慎み深い敬虔な態度でこの身をたもって生きていきますと誓うのが持戒です。」と解説されています。神社と同じように寺院においても手水場が設けられているために、手や口中を浄水で浄めるほうが簡単で一般的ですが、仏前に行く前に塗香で身を浄めてお参りされると一層良かろうと思います。浅草の浅草寺の本堂前などで大きな香炉に沢山の線香が供えられモクモクと煙が出ているところで、手であおいでその煙を頭から浴びている光景をよく見られると思いますが、「頭が良くなれ」とか「病気が治るように」などと現世利益のための行為ではありません。意味合い的には浄身であるため塗香と同じことを行っているのです。
■焼香(しょうこう)・抹香(まっこう)
焼香用に香木を顆粒状に細かく砕いたものを抹香と呼ばれることがあります。皆さんが葬儀の参列した際に焼香時につまんで炭のうえにパラパラと振りかけて燃やす香のことです。しかしながら焼香用の香と抹香は違うものです。本来の抹香は顆粒状ではなく、塗香と同じように微塵(パウダー状)です。同じパウダー状でも塗香は火を付けませんが、抹香は火をつけて香りを出します。極端なことを言えば、この抹香を糊で固めて棒状にしたものが線香です。線香が考案される前はすべて抹香が使用されていました。香炉の灰に細い溝を作り、そこに抹香を盛ります。現在でも僧侶は抹香を使用する機会は多く、法会や祈祷の長さによって横一文字に盛ったり、コの字型に盛ったりします。六種供養の焼香とはこの抹香や線香を指しています。そして六波羅蜜では仏道に精進する決心を表すとされています。香は端に一度点火すると、一定の速度で最後まで燃焼し香りを薫じ続けます。「真言宗の事作法」には「私達も一度精進努力しようと決心したならば、それが成就するまで、たゆまず努力と向上の心を継続させていかなければなりません。(中略)また香煙によって好ましからぬ臭気が除かれますが、それはあたかも精進努力の前には、総ての妨げとなる不吉不祥の事柄もたちまち消滅してしまうようなものであります。」と解説されています。また「食香(じきこう)」と呼ばれ、仏様は薫じられた香煙を召し上がって永遠の命を保っておられるとの考え方から香煙を絶やしてはならぬとされています。枕飾りには一本線香を立てますが、これは故人が一直線に迷うことなく仏の世界に進むことを願うからとされ、やはり絶やしてはならぬと言われる所以です。
2.様々な線香の作法
■寝線香
寝線香とは読んで字の通り、香炉に火のついた線香を寝せるように横たえて供えます。もちろん普通の香炉は横長にできていませんので専用の香炉を使います。寝線香は通常5寸(約13cm)から7寸(約17cm)のものを使用しますので、香炉もその長さを上回る横長に作られた専用の香炉を使用します。また通常の石灰では途中で火が消えてしまいますので、石灰の上に桐灰や藁灰を敷き詰めて最後まで燃え尽きるようにします。葬儀社で働く方の中には、寝線香とは創価学会が行う友人葬用の作法だと思っている方もいらっしゃることと思います。しかしながら寝線香は日蓮正宗の作法です。日蓮正宗と創価学会の関係をここで論ずるつもりはありませんが、日蓮正宗との関係が立ち消えた後も、創価学会は寝線香の作法を継承し現在も行っています。日蓮正宗の寝線香の作法にはいくつかの意味が含まれています。まず本数ですが、枕飾りの場合には1本と言われる僧侶の方もいらっしゃいましたが、通常は寝線香といえども3本供えられます。これは「仏・法・僧の三宝供養」と考えられ、天台宗、真言宗、浄土宗、日蓮宗、禅宗など他宗も同じ意味を説いています。また日蓮宗には「能除天魔」「精進布教」「諸天守護」の祈願の意味もあり、日蓮正宗もその考え方を受け継いでいるとも考えられます。さてわざわざ寝線香にする意味ですが、立てて供えたときに灰が乱れ散ることを心の乱れを象徴するものだと捉えています。寝線香にすることで気持ちを落ち着け、心の迷いを鎮め成仏に近づく「禅定」の心構えを実践することとなります。もう一つの大きな意味は線香を立てて供養すると灰に差し込んだ下に隠れた部分は燃え残ります。線香が残るということは成仏の妨げとなる「煩悩」を残すことを意味することになるという考え方です。日蓮正宗では線香に火をつけることで「煩悩即菩提」という意味が備わり、心のさまよいを火で滅して灰にすることで成仏に近づくとされています。
■手折り線香
寝線香専用の香炉ではなく一般的な香炉で寝線香を行う場合は、香炉の幅に合わせて2つ、もしくは3つに折って供えます。主に浄土真宗の作法として知られており、これを「寝線香」と呼ぶ場合もありますが、実は浄土真宗だけ行っているわけではありません。抹香の代わりに簡易目的で線香を火舎(小型の香炉)や柄香炉に寝せて、焼香の火種とすることは他の宗派でも行われています。ただし他の宗派ならば通常線香を立てて供養する場合においても、浄土真宗の場合は手折って寝線香にしてお供えするために浄土真宗だけの作法と勘違いされています。しかしながら浄土真宗においても僧侶の考え方から様々な線香供養の形があり、他宗派と同じように手折らずに一本線香を立てて供養なさる住職もおられました。また僧侶がやむを得ず臨時におこなった作法が、そのまま檀家の作法として定着してしまうケースもあります。まず香炉に桐灰を敷き詰めていない場合、そのまま線香を寝せてしまうと火がすぐに消えてしまうので手折った線香を斜めにして灰に挿す場合があります。斜めに挿すことは本来ならばあくまで寝線香にすべきところ、灰が違うので出来ないけれど寝線香に少しでも近づくように斜めに挿したのだと思われます。こちらが桐灰を用意しても、その御家族はその後もずっと斜めに挿し続けられました。また2つに手折った線香を通常の線香供養と同じように立てて灰に挿すご家族もおられました。こちらは手折ることが大事だと思われていたようです。いずれも菩提寺の住職がそうしていたからとの事でした。調べてみても手折る回数は香炉の大きさに合わせて2つでも3つでも良く特に意味はないようです。手折り線香については抹香の代用であっても出来るだけ抹香を盛った形に近づける作法として供えられ、さらに焼香の火種することに目的があったのだと思われます。抹香を盛った場合には通常左端から点火しますが、寝線香の場合も火が付いたほうを左にして供えるのが通常と思われます。しかしながらこの作法も僧侶によって右から、もしくは方向は関係ないなど様々な解説がなされています。
3.香炉について
まず香炉には向きがあります。三本足の香炉の場合は1本を手前にして、他の2本が奥に向くようにして置きます。把手がついている香炉の場合は把手が左右になるように置きますが、さらに三本足の場合はやはり1本側が手前になるように置きます。把手も足もない場合は家紋など絵柄付のものであれば絵柄を手前にします。現在では陶器製で茶器のような香炉を見かけることもあり向きが特定できない場合は、何かの印をつけて一定の方向を向くようにし、供えるたびに向きが変わらないようにします。また常に灰をならし線香の燃え残りなどはコマめに取り除き、清潔にしておくことが求められマッチの燃えカスなども香炉に挿すことは許されません。これは香炉が仏様の御口と考えられていることに由来します。香炉だけではなく護摩焚きの炉も同じ考えです。筆者が祈願護摩終了後に後片付けを任されたとき、炉の廻りに散らばっている燃えカスを刷毛で塵取りに集め、まだ火の残る炉にくべようとしたところ「仏様の御口(みくち)にゴミまで入れるつもりか」と叱られました。散らばった燃え残りは面倒でも火箸で一つひとつ拾い上げて炉に入れるよう指導を受けました。最後に手炉(しゅろ)とも呼ばれる「柄香炉(えごうろ)」の意味ですが、「真言宗の事作法」には3つの意義が解説されています。①香を仏様に供養し、行者の勇猛(ゆうみょう)精進の志を表す。②仏様は悪臭を嫌われるので香を焚いて仏様に対する威儀・心構えを表す。③香煙は仏様をお迎えする道筋を示し、あるいは仏様をお迎えしたいという行者の信念を仏様に伝える手段である。以上のように「香」の考え方はインド・中国を経由して仏教とともに伝わったとはいえ、仏教だけの考え方にとらわれることなく日本仏教独自の考え方として民俗的な考え方が十分に組み込まれ、香道に代表される洗練された文化へと昇華していくことになります。