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灯明・燈明(ロウソク、燭台) ②

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2026.03.24

2.民俗としての「灯明」の意味
 葬儀の枕飾りの灯明については別の名称で呼ばれることがあります。代表的なものに「枕火」「前火」「遺念火」「不消火」「斎火」「死火」「黒火」などがありますが、「死火」「黒火」については死穢意識を強く感じざるを得ません。「日本の葬送儀礼(岸田緑渓著:湘南社)」に次の記載があります。「火を灯すのは、あの世に旅立つのに、暗くては迷うからとか、死者の霊魂が留まる依代、仏の光明になるから、と説明されます。いずれも、もっともらしい理由のようにきこえますが、「死火」のマイナス・イメージを十分に説明できません。」「黒火」はもちろん「黒不浄」からの呼称でしょうが「死火」とはとても直接的な表現です。死穢と火の関係では「別火」の風習を知っておかねばなりません。元来「火」は生活の中心であり、竈が炊事場に移る以前は囲炉裏が家屋の中心にあり、明かり、暖、煮炊きとすべての文化生活の基本でした。「民俗小事典 死と葬送」には「火を長く保つことは家の永続も意味していた。不絶火として知られるものであり、主婦に火の管理は任せられ、埋火などの方法で消さないように保存された。(中略)火に対する清浄観により、死穢を避けるために新しい火に切り替えたり・・・」との記述があります。昭和30年代に行われた民俗調査書「日本民俗地図」にも「枕飯と呼ばれる盛飯を別火で炊いて供える」との記載が多くみられます。ライターやマッチで簡単に火をつけることができたり、ガスコンロや炊飯器などで簡単に調理ができる現代人には「別火」がピンときませんが、明治初期以前に別に火を起こすことは大変でした。それでも死人が出た家では枕飾りの灯明はもちろん枕飯を炊く火さえも、日常使っている竈や囲炉裏の火から移すことは死穢が感染すると恐れられていたために、わざわざ寺から火縄に火をつけてもらうなどして灯明を灯し、「別火屋」と呼ばれる納屋などに「外カマド」と呼ばれる臨時の竈で枕飯を炊きました。この火を「忌火」と呼んで通常の火とは緊張感をもって神経質に分けられ死穢が及ばぬようにと管理されました。「日本の葬送儀礼」には全国各地で「死霊の依代」「死霊絶縁」「死穢浄化」のために行われていた葬送に関する火を用いる多様な儀式や習俗が紹介されていますが、いずれも現在は衰退し枕火を絶やさないようにする作法が残っているくらいだと述べられています。
 「民俗小事典 死と葬送」には「日本では火そのものを神聖視することは少ないが・・・」との記述があります。そうでしょうか?この書物では火がもたらす光明や、すべてを焼き尽くす浄化作用など効用に重点が置かれて解説されているからでしょうが、「霊魂の依代」となると「火そのもの」を信仰していた古代からの関連が見えてくるように思います。民俗学者の柳田國男は「年中行事覚書」の盆行事の中で「魂迎えの夕の墓参りに、必ず燈をともして行くということも、単に精霊の路を照らすためのみではなかったらしい(中略)仮にこの明かりでお出でやお帰りやと言うことに今はなっていても、本来の火の光に対する我々の考えは別であって、やがて日を拝みまた雷火を崇神した古い神道と、筋を引いて遠く火の発見の時代まで、遡っていかれるものであるかもしれぬ。」と記述してあり、壮大な人類の歴史を感じざるを得ません。灯明として神聖視されているものは比叡山延暦寺や高野山奥の院の「不滅の法燈」があります。柳田國男門下で宗教民俗学を提唱した五来重は「仏教と民俗」の中で「不滅の聖火は、始祖または開祖の霊が不滅であることを意味するであろう。家の聖火はその家系のシンボルとして不滅でなければならなかったし、霊場の聖火は開祖の精神のシンボルとして、不滅でなければならなかった。」とし、聖火の継承である「火継式」が今も代替わりごとに出雲国造家で行われていることを紹介しています。枕火を絶やしてはならないとされることと無縁ではないでしょう。
 さて、「遺念火(いねんび)」や「斎火(いみび・さいか)」の呼称からは明らかに鎮魂の意味が見て取れますが、このヒントとなる文章が五来重の「宗教歳時記」の中に出てきます。京都で行われる霜月祭りと呼ばれるお火焚き神事の神楽で焚かれる「庭燎(にわび)」を前にした「反閇(へんばい)」といわれる所作を解説した文章です。「これは悪魔払いの所作であって、この神楽が鎮魂神楽であり、祖霊である山の神の荒魂を鎮める舞であったことをあらわす。反閇という大地を踏む呪歩と浄火をもって荒魂を鎮めて、山宮に鎮まってもらうのが霜月祭りであった。」さらに山伏が行う柴燈護摩(さいとうごま)が庭燎と同じ起源を持ち、鎮魂の意味があることを解説し、この柴燈護摩の元の形と思われる「斎燈(いみび)」と呼ばれる焚火が、いまも山伏神楽の代表的な三河の「花祭」に見られることを紹介しています。「神楽舞をおこなう舞戸の隅に焚火をしてセイトと言う。セイトは斎燈(さいと)の訛りである。これは照明と暖をとるためと考えられているが、それよりも悪魔祓いと荒神を鎮める鎮魂の呪力がみとめられていた。」と記述し、さらに「民衆もまたそれぞれの家の祖霊とともに、共同体の祖霊である氏神を霜月に祀ったが、その祖霊はすこしの穢れや罪があれば祟りを持って懲罰する恐ろしい荒魂なので、浄火で一切の罪穢を祓いきよめ、舞をもって荒魂を鎮めた。」そして「日本人の火に対する神聖観念がいろいろなかたちで残されている」と締めくくられています。「鎮魂」は葬儀・供養の原点であり、根幹であると思います。たかだかロウソクの火と軽視することなく、これからも日本人のこころを伝えていきたいと思います。

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